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『モロッコ』(, 北アフリカの国名)は、1930年(昭和5年)製作・公開、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督のアメリカ映画、トーキーである。ベノ・ヴィグニーの舞台劇『''Amy Jolly''』が原作。日本では、初めて日本語字幕が付されたトーキー作品としても知られている〔『日本映画発達史 2 無声からトーキーへ』、田中純一郎、中公文庫、1976年 ISBN 4122002966., p.215.〕。 == 略歴・概要 == 1930年(昭和5年)、パラマウント映画が製作し、撮影は同年7月15日クランクイン、同年8月18日にクランクアップした。同年12月6日には同社の配給で、米国内で公開された。第4回アカデミー賞で監督賞にスタンバーグが、女優賞にマレーネ・ディートリヒが、美術賞にハンス・ドライヤーが、撮影賞にリー・ガームスがそれぞれノミネートされたが、いずれも受賞は逃した。 日本では、1931年(昭和6年)2月25日、同社の駐日オフィスが配給し、東京・有楽町の邦楽座(のちの丸の内ピカデリー)をはじめとする松竹系の劇場で公開された〔『日本映画発達史 2』、p.219.〕が、本作の公開に当たり、台詞を日本語に翻訳し、スーパーインポーズでプリントに焼き付ける方式を日本で初めて採用した〔。田村幸彦が研究し、縦書き、1巻あたり30枚平均のタイトル原稿、というスタイルが編み出された〔『日本映画発達史 2』、p.217.〕。 当時の日本の興行界はサイレント映画が中心であり、全国の映画館には楽隊と活動弁士が常駐していた。トーキーのアメリカ映画を上映する際には、台詞を追いかけて弁士が日本語で解説したり、サウンドトラックをカットして音声を流さずに弁士が解説したり、吹き替え版を作成したりと苦心がなされていた〔『日本映画発達史 2』、p.216-217.〕。日本語字幕が付されたことで、本作の上映に関しては、弁士が不要となってしまい、配給元のパラマウント映画に抗議が行われた〔『日本映画発達史 2』、p.217-219.〕。結果的にはこの方式が現在に至る主流となっている〔。 本作は1992年(平成4年)、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モロッコ (映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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